学習サロン ブリリアンス

最後には光だけが残る

今日は母の日でした。

私の母の母である、祖母の病院へ家族と共に出掛けました。

祖母に会うのは、お正月以来です。

病院は、田舎町の小高い丘の上にあり、遠くの山並みまで

見渡すことができます。

祖母は入り口が電子錠でロックされた病棟に入っています。

ウィーンと音を立てて錠が開きました。

病棟を進んでいくと、さらに錠がかかった扉があります。

若い男性の看護士さんが、にこやかに錠を開けてくれました。

そこは大きな食堂で、たくさんのお年寄りの患者さんたちが

お行儀良く腰掛けています。

ちょうど今から夕食の時間のようです。

祖母は、食堂から少し離れたところに設置されたソファに

1人で腰掛け、私たちが来るのを待っていました。

破顔一笑、私たちの姿を見るなり、祖母はとても嬉しそうな

顔をしました。

「およ~、こげんにおせになって」

(※鹿児島弁で、おやまあ、こんなに大きくなっての意味)

祖母は私にこんな風に声をかけてくれました。

祖母に前回会ったのは5ヶ月程前ですが、

祖母の中では、その時の記憶ではなく、

私がまだ小さかった頃の記憶とが直結してしまったのでしょう。

私は、祖母の大きく曲がってしまった背を撫でながら、

声を掛けました。

「おばあちゃんが育ててくれたおかげで

こんなに大きくなれたんだよ。ありがとうね。」

母は祖母に、カーネションと洋服、それから一枚の写真を

贈りました。その写真には親族一同が写っています。

先日、父の退職祝いをするため親族一同を呼んでささやかな

パーティをしたのですが、そのパーティーに祖母は参加する

ことができなかったのです。

祖母は、片目の視力がほとんどなくなっているため、

顔を写真に大きく近づけ、もう一方の目で一人一人の顔を

なめるように確かめていました。

「およおよ、みんなおせになったもんじゃ」

(※なんとまあ、みんな大きくなったものだ)

もしかすると、祖母の目には、それぞれの顔ははっきりと

分からなかったかもしれません。

でも祖母の目は、何か、親族ひとりひとりを「光」として

捉えているような気がしました。

お見舞いに来た私たち家族ひとりひとりに向けられる

祖母の眼差しも、それぞれの光だけを見ているような、

そんな気がしたのです。

それは、とても温かく、安心感のある眼差しでした。

ありのままの私が、祖母の優しさに包まれた気がしました。

面会時間は限られていて、ほんの10分ほどの団欒でした。

別れ際、母と祖母は、泣きながら抱き合いました。

私も、食堂のお年寄りの患者さん達も、その姿を見ていました。

羨ましく思った患者さんもいたのではないかな、と思いました。

私はここ数年、祖父母に会う時はいつも、

もしかするとこれが最後になるかもしれない

という思いを、密かに胸にしまっています。

だから、心の目にその姿を強く焼き付けようと念じます。

母と祖母の姿はまるで、

光と光が抱き合っているようでした。

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