昼過ぎの便で東京に来ました。
羽田から浅草方面へと向かう電車に乗り込み、
空席はないかと車内を見渡しました。
優先座席は女子高生達で埋め尽くされています。
一、二席空いている所を見つけ、大荷物を抱えた僕は
そのすき間へと腰を埋め込みました。
ほーっと一息ついた所で、
ふと私の左の視界に一人の女性の姿が写りました。
年の頃は20代後半、メイクの映える、小柄で奇麗な女性が
俯いたまま立っていました。
何気なく視線を下に落とすと、彼女のお腹が膨らんでいることに気づきました。
「妊婦さんか…」
私は居てもたってもいられなくなてきました。
「誰か席を譲る人はおらんのか…」
しかし、優先席の住人たちも、その他の住人たちも
ほとんどの人たちは、携帯をのぞきこみ、自分の世界に
没入しています。
「誰も気づかんやろうなあ…僕が譲ろうかなあ」
その妊婦さんも、別段、席に座りたいような顔をしているわけ
ではありませんでした。
その人もまた、生気のない疲れた顔で、条件反射のように
携帯をのぞきこんでいるのです。
「座れないことに慣れているのかあ…、
それともあまり構ってほしくないのかもなあ…」
私は、しばらく考えましたが、
そのことに気づいているのに、見て見ぬふりをするのは苦しいし、
声だけ掛けてみようと思って、意を決し、席を立ったのです。
「あの、お座りになりませんか?」
女性は突然声を掛けられたことに驚き、少し戸惑った表情を浮かべたあと
「あ、ああ…」
という小さい返事をして、空いた席に座りました。
私は、あまりその人を見ないようにしながら、
その人が立っていた場所に立ちました。
電車に揺られながら、様々なことを推測しました。
「ありがとう」って言ってはもらえなかったなあ…
もしかして、僕が譲ったってこともわからなかったのかもなあ…
お腹を見られて、譲られたことが嫌だったのかもなあ…
お腹は膨らんでいたけど、もしかして、望まない妊娠なのかもなあ…
私はもう一度車内を見るともなく、眺めていました。
そして、このようなことを思いました。
「みんな決まりきったように携帯を覗き込んでいるけど、
これは周りのことになるべく「気づかない」ようにするための
無意識の防衛本能の現れなのじゃないだろうか。
職場や学校や人生に疲れている時に、新しく何かに「気づいて」
しまったら、それはその人にとっては大きな負担になるのだ。
たとえば、妊婦さんやお年寄りに気づいてしまえば、
席を譲るかどうかで、余計な苦しい思いを自分が背負わなければならない。
余計な苦しみと、エネルギー消費を増やしたくはないのだ。
妊婦さんも妊婦さんで、席を探す労力など割かずに、周りに気を使われないように、
なるべく、無表情で携帯をいじって時をやりすごすようにしている。
なるべく何にも気づかないように。
なるべく何事も起こらないように。」
東京には、鹿児島や京都・大阪とは違った、独特の空気を感じます。
それは、各人が頑張って「個」になろう、「個」を守ろう、としている空気です。
見ず知らずの者同士の「通い合い」をなるべく遠ざけようとすることで、
自分にも他者にも負担が少なくなる。
それはこの街が自然と選んで行った、生きるための工夫なのでしょう。
最初は少し寂しい思いでしたが、しばらくして、
この街に対する生命観が深まって、少し心を落ち着けることができました。
現在、浅草橋のホテルでこの日記を書いています。
明日は大切な友人の結婚パーティーに出席します。
久しぶりにたくさんの友人たちに会えることも楽しみです。