世の中には、一流の品物、二流の品物という言葉があります。
本物、偽物という言葉もあります。
しかし私は、世の中に一流の品物も、二流の品物も、
本物も偽物も存在しないと思っています。
この世に存在するのは、自分に「語りかけてくるもの」と
「語りかけてこないもの」しかないと私は思うのです。
皆が口々に、これは天下一品だ、素晴らしい品物だと叫んだとしても
自分の心に何も語りかけてこなければ、
それは自分にとって、何の意味ももち得ないのです。
逆に、だれもが、そんなもの三流でしょ?B級でしょ?
○○のパクリでしょ?と蔑んだとしても
それが、自分の心に深く語りかけてくるものだとしたら、
その人にとっては最高の品物なのです。
例えば、参考書を購入する時には、
その本を手に取り、眺める時に
自分に何かを語りかけてくるか、ということを
一番の判断基準にしたらよいと思います。
もちろん周囲の評判は参考にしても良いのです。
ですが、一番大事なことは、
自分にとってどうか、ということなのです。
周りの評判が良いからといって、いまいちピンとこないものを
無理して購入する必要はないのです。
例えば、○○大学を目指すなら、こんな易しすぎる内容の
本を買っては笑われてしまうかも、
と周りの目を気にしなくても良いのです。
その本が、自分に強く語りかけてくるなら、
その本は今の自分にとって必要な本なのです。
逆に、小学生であろうが中学生であろうが
その本が強く語りかけてくるなら
極めて難解な哲学の本でも、生物学の本でも
背伸びして買って良いのです。
すべてを理解できなくても、
知的好奇心の枝葉を大きく伸ばしてくれるものです。
何かを選ぶ時には、
そのものが語りかけてくる、かすかな信号をキャッチすることです。
人間は、生きているものだけでなく、死者や無生物とコミュニケーション
する能力を持って産まれてきています。
死者と対話をする儀式が、葬礼であり、お墓参りです。
無生物と対話をする能力を特化させているのが
職人や鑑定士といった職業の方々です。
もの言わぬものが発するメッセージを感じ取るには、
積み上げてきた経験と信念、磨いてきた感覚を頼りに
するしかありません。
他者がどう感じるか、どう評価するかを判断基準の第一に
していては、このようなメッセージを感じ取る能力は
退化してしまいます。
そうなると、目の前には、誰かが言う、一流と二流、本物と偽物で
溢れ返ってしまいます。迷いも深まるものです。
逆に、自分に「語りかけてくるもの」を大切に選び取っていけば
目の前には、その人にとっての「本物」だけが
立ち現れてくると思うのです。