本日、すごいことがありました。
私は教室の前にメッセージボードをおいて、
ほぼ、日替わりのメッセージを書いているのですが、
(以前、ワールドカップ応援の記事でボードの写真を載せました)
本日、教室に到着した時に、私はそのメッセージボードに
メモ紙がはさんであることに気付きました。
「なんだろう?」「生徒が残していった伝言かな?」などと
思って、紙を開いたところ、
それは、メッセージボードを読んだある方からの問いかけ、でした。
私の書いた言葉が、その方の琴線に何らかの形で触れたのでしょう。
その方の中に湧きあがった疑問をメモ紙に書いて、残してくださったのです。
まさか、このような「返信」を残してくださる方が現れるとは思って
いなかったので、大変驚き、そして嬉しく思いました。
お名前もご年齢もわかりませんが、ご質問を下さった方、ありがとうございます。
私も、考える良いきっかけを頂きました。
このような「交流」をさせて頂いたことに深く感謝しています。
さて、その問いかけの内容についてですが、
私は先週末ぐらいに
「天は使命の大きな人間ほど試練を与える」という言葉を書きました。
その言葉に対して
「先日先生は、神様はやれる人に困難をやらせる(多少文は違うかもしれませんが…)
と書かれましたが、
では、それに気付くのはいつでしょうか?
高校・大学の合格?それとも…?
でも、その中に、死ぬまで気付かない人も、私はいると思います。
先生はどう思いますか?」
というものでした。
とても深く、難しい問いかけで、私は頭を悩ませましたが、
私なりの解答をその方に書きました。
以下、その文を掲載致します。
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ご質問を下さった方へ
ブリリアンスの西野です。私の書いたメッセージを読んで下さり、ご質問までして下さってありがとうございました。
本当に嬉しかったです。
先日私は「天は使命の大きな人間ほど試練を与える」と書きましたが、そのことに関して、「それに気が付くのはいつでしょうか?死ぬまで気づかない人も、私はいると思う。先生はどう思いますか?」というご質問をして下さいました。
まず、大変するどく、深い疑問をお持ちになられたのだなあ、と思いました。
簡単に結論づけることは難しい種類の疑問だと思います。
その疑問を心の中で温め、ご自分で考えを深めていくことに、意味があるように思いますので、以下の私の解答は、ひとつの考えとして参考程度にしてくださいませ。
また、私の考えも今後変化していくかもしれませんので、そこはご了承くださいませ。
私がこの言葉を書いたのは、私がこれまでの人生の中でとても苦しい時に、勇気をもらった言葉だからです。
「どうしてこんなに大変なことばかり起るんだろう」「どうしてこんなことになってしまったんだろう」そのように思うことがこれまで多々ありました。
でも、どうしても前に進んでいかなければなりません。
そんな時にお世話になったのがこの言葉です。
苦しい時にそれを乗り越える最大の力は「信じる力」だと私は思うのです。
私はこの言葉を知って、「私がこの試練を与えられたのは、きっと乗り越える力が自分にあるからだ」、とか「この試練を乗り越えることが、きっと自分にしかできない使命につながっているはずだ」と信じて前に進むことで、自分を成長させ、苦しい時を乗り越えてきたように思います。
ですから、私は「天は使命の大きな人間ほど試練を与える」や「神様はやれる力のある人に困難をやらせる」ということに、何かを達成してから気づいた(納得した)のではないのです。
まだ何も達成していない試練の真っただ中で、ただそう信じて、乗り越えようとしてきただけなんです。
だから、私も実は、この言葉の本当の意味(仕組み)に気づいているかというと、あやしいところがあります。
自分の使命が何なのか、いまだにはっきりとしません。
人生を通じて分かっていくものなのかもしれないし、死ぬまで分からないものなのかもしれません。
ですが、この言葉は「何かを信じて前に進む」ことの大切さを教えてくれたように思うのです。
この言葉の本当の意味に気が付くのは、明日かも、1ヶ月後かも、10年後かも、あるいは、死ぬときかもしれません。
しかし、信じることは「今」できると私は思うのです。
信じて前に進み、そこから多くを学んでいくこと、自分を成長させていくことに、意味があると思うのです。