最近読んだ「ニーチェの言葉」の中に次のような言葉があり、
深くうなずいてしまったので、ここに記しておきます。
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「人生を行くときの手すり」
注意を怠ると転落事故が起きかねない渓流沿いの細道や橋などには、
必ず手すりがついている。
実際に事故が起きるときには手すりもろとも落ちてしまうだろうから
その手すりは万全さを保証しているわけではない。
しかし、手すりがあれば、それなりの安心を得ることができる。
このような手すりとして、父親、教師、友達は、わたしたちに
安心と保護されているという安定感を与えてくれる。
彼らに完全によりかかっても助けにならないかもしれないが、
心の大きな支えにはなってくれる。
特に若い人には、こういう手すりのような役割を
無意識に果たしてくれる人がどうしても必要だ。
それは、若い人が弱いからではなく、よく生きていくためにだ。
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手すりが、勝手に動いて何かをしたり、口を出したりすれば、
手すりとしての役目を果たすことはできません。
ただそこにしっかりと「在って」「揺るがない」でいることで
手すりはその役目を十分に果たすことができるのです。
傾斜の厳しい道、困難な道をのぼっていくのはその人自身ですが、
手すりがそこにしっかりと「在る」ことによって、
険しい道も、それを登りきることの可能性が見える道へと変わります。
親や師になることを選んだ人間に、このニーチェの「手すり」の比喩は
大切な視点を与えてくれると思うのです。