私は昔、「時」の授業をしたことがあります。
京都の大手進学塾で教えていた時のことです。
2月のある日、私は小学4年生の理科の最後の授業に向かいました。
講師のシフト配置の都合で、翌月から5年生に上がるその子達の
授業を私は担当することができず、最後の授業となってしまったのです。
その日の授業の終わりに、私は黒板に大きくこう書きました。
「あっと言う間に受験やで」
生徒たちはきょとんとした顔で黒板を見ています。
私は生徒たちに言いました。
「君達は、来月5年生になるよね。
でも、あっと言う間に、1年経って6年生になり、
あっと言う間に、受験のその日を迎えていると思うよ。
時がいかにあっと言う間かを感じてもらいたいので、
僕が黒板に書いたこの言葉、この日のこの瞬間をよく覚えておいてね。
僕の授業はこれで最後だけれども、これが僕の最後の宿題です。」
時というのはやはり恐ろしく速いもので、本当にあっと言う間に一年が過ぎ
彼らは6年生に上がる春休みを迎えました。
有り難いことに、私は春休みだけ再び彼らと授業ができることになりました。
私は春休みをもってその塾を退職する予定だったので、
その春休みの授業は、私の人生にとっても思い出深いものとなりました。
春休みの授業初日、私は、久しぶりに一緒に学ぶ時間を共有できる彼らの前で
こう言いました。
「1年前の最後の授業で、僕が言ったこと覚えている人いる?」
「はい!はい!はい!はい!覚えてる~!!」
生徒たちの手が元気良く上がりました。
おそらく忘れているだろうなあと思った私は予想外の反応にびっくりしました。
「あの時に、『あっと言う間に受験やで』をノートはしっこに書いてて、
それを切って、ずっと持ってるよ~!」
ある生徒は、書いた切れ端を僕に見せてくれました。
「本当に、あっと言う間だったでしょう。」
うん、うんと生徒たちはうなずいていました。
「きっと、この一年も同じようにあっと言う間で、
君達は受験のその日を迎えると思います。
だから、一日一日を大切に勉強していこう。」
そう言って、私は初日の授業を始めました。
私がこのような「時」の授業を思いついたのは、
私の小学生の時の変な思いつきが発端なのです。
私が小学2年生だった、ちょうど今頃の季節のことです。
私は自宅の洋式トイレの便座に座って、「もの思い」をしていました。
「もう僕も2年生だなあ。速いよなあ。もうすぐ3年生になるんだよな。
でもその3年生も飛び越して、気づいたら4年生になっているかもしれない・・・
よし!決めた!
今日この日、この瞬間にトイレで今思ったことを、
4年生になる日まで忘れないようにしよう!
トイレに入る度に、このことを思い出すのだ!」
という極めて変な思いつきです。
どうしてこんなことを決めたのか、未だに自分が理解できません。
それからというもの、トイレに入ることは、私にとって
「用をたす」ことと「決意を思い出す」ことの二重の行事になりました。
ああもう一週間たったなあ、よし、まだ忘れてないぞ。
ついに僕も3年生になったなあ。やっぱり速いなあ。
もう半年か、時々忘れそうになるな、あの日の決意を思い出さないと・・・
そうこうしているうちに僕はついに4年生になりました。
「本当に4年生になっちゃったな。長いように感じた時もあったけど、
振り返ってみれば本当にあっと言う間だった!」
私は、1年以上に及ぶ孤独な実験を達成した密かな喜びを抱えて、
その日はお祝いの用をたしました。(下品ですみません)
長い間、思い出す訓練をしておりましたので、
それからというもの、私は「2年生のトイレの決意」を
忘れられなくなりました。
ふとしたときに必ず思い出すのです。
中学にあがった時、高校にあがった時、
あの2年生の日からもう○○年も経ったんだなと
不思議な感慨が押し寄せるのです。
そういう経験から、先にお話した「時」の授業を思いついたのです。
そして、私は今、「トイレの決意」から23年経って、
もうすぐ31歳になろうとしています。
本当にあっと言う間でした。
そしてまた、あっと言う間に○○の時を迎えていく。
来年が来て、再来年が来て、40になり、50になり、
気がつけば、一生を振り返るその時を迎えているかもしれない。
「あっという間」の時の流れを思う時、
だからこそ、日々を無駄にせず、大切に生きようという心掛けることも
大切なことだと思います。そのような祈りの中で日々を生きていくことは、
人間の素晴らしい美徳のひとつであると思います。
しかし一方で、そのような気負いが昂じると、「焦り」が生まれ、
○○を迎えるまでに、あれもやっておかなくちゃ、これもやっておかなくちゃ
と気持ちを忙しくしすぎてしまい、空回りになってしまうこともあります。
そんな時は、自分の歩んできた人生の「あっと言う間」の時の中に、
どれだけ豊穣なるものが凝縮されてきたかを、感じてみることが
大切なんじゃないかと思うのです。
頑張った日もあり、駆け抜けた日もあり、泣いた日もあり、喜びに湧いた日もあり、
腑抜けた日もあり、だらだらした日もあって、そうした様々な時が凝縮されて、
今日ここにこうして生きている。
それは、ものすごく奇跡的なことだと思うのです。
もしそれらの日々のバランスが崩れていたら、今ここにこうして生きていないかもしれない。
過去に頑張りすぎていても、ぐうたらしすぎていても、
今の自分はここにこうして生きてはいない。
あっと言う間だと時を感じられるのは、
ぐうたらな日々も含めて、自分はダメだなあと思うような日も含めて、
懸命に生きてきた証拠でもあるように思います。
その日にできることを、できただけやって今日の日があるように、
これからもまた、その日にできることを、できる限りやればよいのです。
今、生徒のみなさんに同じ授業をするなら、
こういう言葉をつけ足すかもしれません。
「あっと言う間に受験やで。
だから、一日一日を大切に学んでいこう。
そして、自分が歩んできたあっと言う間の時の中で
どれだけ多くのことを学んできたか、成長してきたか、
ひとつひとつを大切に振り返ってみよう」