夕暮れの公園で、逆上がりにチャレンジしている子どもがいました。
彼は毎日、毎日、近所の公園に行って、
繰り返し繰り返し、逆上がりの練習をしています。
でも、なかなかできるようにはなりません。
クラスの他の子たちは、次々とできるようになっていきます。
彼は毎日、毎日、練習します。
やっとお腹を鉄棒につけることができるようになりました。
でも、まだくるっと回転することができないのです。
「くるっとまわれるようになりたいなあ」
「どうしたら、○○くんみたいに上手にまわれるんだろう」
彼は、願いながら考えながら、一生懸命、練習を続けます。
他のクラスメイトたちは、次々に成功していきます。
逆上がりができないのは、ついにその子だけになってしまいました。
ある日、体育の先生が、荒々しい口調でこう言いました。
「なんだ、ダメだなお前は!逆上がりみたいな
こんな簡単な事もできるようにならんのか!
どこかおかしいんじゃないか!
先生が言った事をちゃんと守ってやってるのか!
次の時間までに、できるようになってこいよ!
いいな!分かったな!はい、は?」
彼は、小さく「はい」と返事をしました。
でも、次の時間までに、逆上がりができるようなる
自信はまったく湧いてきません。
「ダメだな」「こんな簡単なことも」
「おかしいんじゃないか」
先生の言葉が思い出される度に、思考が停止してしまい、
やる気も元気もなくなってきます。
彼は、その日学校から帰った後、公園へは行きませんでした。
*** *** *** *** ***
私は、荒々しい口調で、その子を叱咤した先生の気持ちも分かります。
まず、その先生は、自分の力不足が悔しいのでしょう。
『あれだけ教えてあげたのに、
この子は何でできるようにならないんだろう・・・』
その(自分に対する)悔しさともどかしさが、
口調をとげとげしいものに変え、その子の尊厳を奪うような
言葉を吐かせてしまうのです。
また、このように時に厳しく叱咤することで、
この子に気合が入るのではないか、あるいは、
先生にまた怒られるかもしれないという危機感から、
より熱心に練習をしてくれんじゃないか、
という思いもあったのではないかと思います。
また何より、このように叱咤し、
自分は何らかの指導をしたと思い込むことで、
(自分の力量不足から目をそらしたい)その先生自身が、
先生としての存在意義を辛うじて保つことができるんだと思います。
しかしながら、上記のような、
自分の尊厳を奪われるような言葉を聞かされて
目の色を変えて生き生きと練習に打ち込むような人間は
この世には存在しません。
このような言葉を聞かされて、まず起こるのは
萎縮(いしゅく)です。
脳も身体も心も「しゅん・・・」となってしまう。
その結果、脳と身体と心の働きは著しく悪くなります。
自分を先ほどの逆上がりの男の子の立場に置いてみると
よく分かります。
先生の言葉を聞いて、脳も身体も心の働きも活発になって
「よっしゃ、やるぞ!」と意気込んで、
練習に打ち込もうと言う気持ちにはまずならないと思います。
あり得るとすれば、その萎縮した気持ちのまま、
脳と身体と心の働きが半ば停止した状態で、
先生にまた怒られたくないという気持ちから、
ロボットのように練習するようになるだけということです。
先生がそのようなことを言わずに見守っていれば、
成長は遅いかもしれないが、
一生懸命工夫して練習していた彼です。
いつの日か、逆上がりができるようになったかもしれません。
でも、彼の心と身体はしぼんでしまいました。
あの時、先生はどのような言葉をかけるべきだったのでしょう。
できることなら、逆上がりができるようになりたいと願う
その子の脳と身体と心の働きが、
より良くなるような言葉を贈ってあげられたら。
みなさんなら、どのような言葉を彼に贈られるでしょうか?
考えてみて下さると嬉しいです。
また、よろしかったらコメントを下さいますと、有り難いです。
私も、大きなテーマとして、いつも考えています。