今月は、教え子達から様々な報告を受ける月でした。
ある教え子から、夢が叶って、この9月より、
パリのバレエ学校へ留学を始めたと報告を受けました。
その子を教えていたのは8年も前になりますが、
卒業した後も、時々近況報告をしてくれて、
いつも自分の夢を私に伝えてくれました。
学業も優秀な生徒さんで、大学に進学しないのは
もったいないと、周りから言われたそうです。
でも彼女は、大学進学ではなく、自分の夢を叶えるために、
強い気持ちを持って、バレエの専門学校に入る道を選びました。
「多くの人が歩む道とは違う道を選ぶ」とき、
私達には、「自分が何者であって、何を目指しているのかを
他者に説明し続けなければいけない義務」が生じます。
大学生であれば、「○○大学の○学部に通っています」という
自己説明で、周りの人は納得してくれるでしょう。
多くの20歳前後の若者はそうであるし、
卒業後はどこかの会社へ就職を志すもの、
として暗黙のうちに受け止めてもらえるからです。
しかし、多くの人とは異なる道を進もうとしている
彼女の場合は、周りの人に「はい、そうですか」とは
受け止めてはもらえない。
自分が何を目指していて、今どんな努力や実践をして
いるのか、そして、どんな結果を出しつつあるのか、
ということをセットにして説明しなければ、
周りの人、特に、一番に支援をしてもらわなければならない
家族の理解を得るのは難しい。
彼女がバレエ学校に進み、パリへの留学の切符をつかむまでには、
練習に練習を重ねてスキルを向上させることだけでなく、
「まだ何者でもない自分が、何者になろうとしているのか」を、
言葉で、行動で、周りの人へ一生懸命伝えていくことの
並々ならぬ努力があったのではないかと思います。
途中で大変落ち込んだ時期があったということも聞きました。
そういうことを乗り越えて、念願を叶えたのですから、
喜びもひとしおだったことでしょう。
私も自分のことのように嬉しかったです。
また他にも、かつての教え子から、
ある国家資格に合格しましたと報告を受けたり、
今ブリリアンスに通っている子達からも、
自力で先取り勉強をして、自分の学年より上の
英検に合格しました、とか
夏休みに自分で問題集を何冊も集中的に勉強をして、
Z会の成績が上がりました、とか
様々な嬉しい報告を受けました。
今月は不思議と、英検の合格を初め、私が直接教えたわけでは
ない、生徒自身の力で勝ち得た栄冠の報告を受ける機会が多く、
それをとても嬉しく思う自分がいました。
もちろん、私自身が教えた教科の成績が伸びたという、
二人三脚で勝ち得た栄冠の報告を受けるのも嬉しいのですが、
私は、先ほどお話したバレエの子のように、卒業してからも、
生徒さんが、自分で考えて、自分で道を切り開いていける力を
身につけることが何よりだと考えています。
ですから、私が全然教えてもいないのに、
素晴らしい結果が出ましたと、
自ら進んで私に報告してくれることが、とても嬉しいのです。
「先生の役割」って何だろうと思います。
思い返してみれば、かつて教えていた子達からも、
今ブリリアンスで教えている子達からも、
今回のような「とても嬉しい報告」を聞くまでに、
一体どれだけの「あまりうまくいってません」という報告や
「悩んでいます」という報告を聞いてきたことでしょう。
これまでに何度も何度も、「うまくいってません」や
「とても悩んでいます」や「代わり映えのしない毎日です」を、
生徒さんが話してくれて、私がそれを聞いて、
一緒に味わって、一緒に悩んで、一緒に考えてきたからこそ、
「先生、やりました!」という会心の報告を聞く日が訪れる
のだなあとしみじみ思います。
だから、今、生徒さんから、「うまくいっていません」
「悩んでいます」という報告を受けたとしても、
それらはみな、1ヵ月後の、1年後の、10年後の、50年後の、
「先生、やりました!!!!!!!!」
に、必ずつながっていくんだと、私は信じています。
生徒さんからのすべての報告には、必ず希望が含まれている。
「先生の役割」のひとつは、生徒さんからのすべての報告を、
「未来への希望が含まれた宝石」として受け止めてあげること
ではないか、そう思うのです。