人生の中で、忘れられない、いまだに考えさせられている言葉がある。
2005年という年は、私の人生の中で心身ともに最もつらい年であった。
難破しかけている自分を、なんとか適切な航路にも戻さなければと、当時勤めていた塾の授業を他の先生に代わってもらい、私はある場所で2日間、「自分を掘り下げる時間」を過ごした。
いわゆる「内観」と呼ばれるものの一種だ。
その場所では、外界からの情報が入ってくると自分を掘り下げることに集中できなくなるという理由から、2日間ずっと、携帯の電源を切り、テレビや新聞を見てはならない、というルールがあった。
携帯の電源を切った後、午前9時頃から会が始まったのだが、突然、私の服の袖がビリッとやぶけた。
最近買った服なのにおかしいなあ、なんでやぶれたんだろうなあ、と不思議に思いながら、私は「内観」の世界に入っていった。
真剣に「自分を掘り下げる」作業というのは、とても過酷だった。
先生の指示に従い、紙とペンを使って「自分を掘り下げる」作業をし、その結果を先生に報告しに行って「OK」をもらわなければならない。
しかし、この「OK」がなかなかもらえないのである。
作業を続けていると、自分の中に深く閉じ込めていた記憶がどんどん蘇ってくる。
自分にとって心地良い記憶もあれば、目をそむけたくなるような記憶もある。
その奥にある「真実」に気づくことが、一連の作業の目的だった。
何度も何度もチャレンジするのだが、先生は表情を変えることなく、冷淡に「もう一度ここを掘り下げてください」とおっしゃるばかりだった。
自分と向き合うのは精神と体力をかなり消耗する。
途中何度も投げ出したくなった。
さらには、その先生が少しずつ憎くなってもきた。
「どこがダメなのか、もう少し教えてくれてもいいじゃないか!」
先生に対する反感と疲労がピークに達したが、それでも自分と向き合って、その嵐が過ぎ去ったとき、静かな光が見えた。
初めて「OK」がもらえた。
1日目が終わる、深夜12時の直前だった。
涙が流れた。
その時、先生は初めてにこやかに笑われた。
先生の愛情を深く感じた。
翌日も作業は続いた。
しかし、1日目よりは随分穏やかな気持ちで作業を続けられた。
自分自身の深いところにある「自分の手綱」をつかめたような感覚があった。
「内観」の会は、無事終わった。
私はふーっと息をつき、現実に戻っていくために、携帯の電源を入れた。
携帯は大量のメールと着信を受信し始めた。
普段は2日間でこんなにメールが来ることはない。
メールの内容は、ほとんどが「大丈夫か?」「塾、大変なことになったね…」と、友人が心配して送ってきてくれたものだった。
しかし、私には何のことだかさっぱり分からない。
不安になった私は、テレビのあるところへ駆け寄った。
夕方のニュース番組は、私の勤めていた塾で起こった事件に関する報道一色だった。
前日の午前中、すなわち「内観」が始まった頃に、私の勤めていた大手進学塾のひとつの校舎で、本当に痛ましい、悲しい事件が起こっていた。詳細
信じられなかった。
2日間の内観を終え、希望をつかむことができたのに、急に奈落の底に突き落とされた気持ちだった。
私の勤めている校舎の、他の先生たちと、生徒たちのことが心配になった。
私は校舎に電話をかけた。
校長も他の先生も、錯綜する情報の中で生徒と保護者の対応に追われ、憔悴しきっている様子だった。
電話を切った私は、さらに暗い気分に落ち込んでいった。
どうしてこんな痛ましい事件が起きてしまったんだろう…。
生徒たちはどんな気持ちでいるだろうか…。
内観に参加すると、良いことも悪いことも含めて大きな変化がある、と事前に先生に聞いてはいたが、まさかこんなことが起こるなんて…。
私は混濁した気持ちを抱えたまま、会が終了して、懇談をしている内観の先生と参加者のもとへ行った。
私は暗い顔をして、先生に出来事の一部始終を話した。
私が話終えると、先生は冷静な顔つきで、ひと言こうおっしゃった。
「それはほんとうに悪いことですか?」
私は稲妻に打たれたような気持ちになった。
100人が聞いたら、99人は悪いことだと思うだろう。
それが当たり前の人間の感情ではないか。
私の中に、また沸々と先生に対する反感が湧いてきた。
「だって先生、それは…」
反論しようとしたが、私の口からは言葉が出てこなかった。
先生の問いかけは、とても深いところから出ていると思い直したからだ。
私は、その場を離れて、また深く考え始めた。
「それはほんとうに悪いことですか?」という言葉が、こだまのように胸に反響していた。
ネガティブな方向にしか向いていなかった思考が、少しずつ反対に舵を取り始めた。
暗い気持だった自分の中に、エネルギーが少しずつ湧いてきた。
この事件を、このまま絶望的な事件として終わらしてはならない。
私たちは、考え悩み行動して、この事件から多くのことを教訓として得て、未来に生かしていかなければならない。
そうでなければ、失われた命が報われない。
暗い気持ちでいるのではなく、一刻も早く、自分にできることをやろう。
まずは、大きな不安を抱えているであろう自分の生徒たちのフォローに全力を尽くそう。
私は気持ちを持ち直し、再び内観の先生のもとへ行った。
考えたことをお話した。
先生は、静かに優しい顔をされた。
その後、私が勤めていた校舎では、生徒たちと今回の事件について話をする時間をもった。
多くの生徒たちは、「大変悲しい事件で、悪いことをしたその先生は許せないけど、それは別の先生だし、今までずっと教えてきて下さった先生方のことは信じています」と、それぞれの言葉で語ってくれた。
生徒たちの目にも、先生たちの目にも、静かな「火」が宿っていたように思う。
保護者の方々も理解を示して下さり、既存の生徒が大量にやめるというようなことは起こらなかった。
事件後しばらくは、校舎内に大変重苦しい空気が漂っていたが、徐々に勉強に集中できる空気になっていった。
その年の受験生は大変辛い思いをしたと思う。でも、その子達もなんとか送り出すことができた。
あの事件から6年が経とうとしている。
私はその時も今も、あの事件は在ってはならない「悪いこと」だと思っている。
そのような人間としての純粋な感情を譲りたくはない。
しかし、「ほんとうに悪いことだろうか?」と問い直して、見えてきたものや、湧き出でたエネルギーがあったのも事実だ。
私個人としては、その言葉を心に反響させたからこそ、その当時を精神的に乗り切れたという思いがある。
底知れない深い言葉だと思う。
「それは本当に悪いことですか?」という言葉を、私は今でも事あるごとに、自分自身に投げかける。
自分にとって、とても残念なこと、悲しいこと、辛いことが起こった時に。
感情的にはやはり辛いしショックだ。それは消えるものではない。
しかし、その出来事の底にある「真実」をなんとかすくいあげようと試みる。
この6年、そうやって学んできた。