教室の軒下には、緑を幾鉢か置いてあります。
あかあかとした大きな葉や、赤紫色の可愛らしい花が、周りの気を明るくしてくれています。
私が教室に出向いた時、一番に気になるのは、軒下のコンクリートの床に落ちている葉や花です。
茎とつながっていた時は、あれだけ生き生きと輝いてみえたのに、命を終え、固められた床に落ちた途端、周囲の気を害するものとして感じられてしまう。
固められた床に落ちた葉や花は、無機物のように私の眼には映るのです。
それは例えば、昨日まであれほど熱をあげていた歌手に対する気持ちが、何かのきっかけで急に冷めてしまうようなもので、心よりもむしろ身体にむなしさが残ります。
私は桜島の灰と共にそれらを掃き集めて、滞った気をきれいに流してから、一日の授業を始めるようにしていました。
昨日のことです。
何気なく、家の庭を眺めていました。
インパチェンスの花が庭にたくさん散れていました。
ふと、その散れた花を見て美しいと感じている自分に驚きました。
土に落ちた花は、コンクリートの固い床に落ちた花と違って、生きているように感じられたのです。
私ははたと気づきました。
落ちた花や葉をごみにするのも、いのちにするのも、それを受け止める地面次第なのだということに。
土は、落ちた花を我が身に溶かすことで、生まれ変わらせていきます。
それも、限りないさりげなさで。
そして、その朽ちゆく花の、生きていた時とはまた別の美しささえも、引き出してくれるのです。
土とは何と尊い存在でしょうか。
土は、風化され浸食された岩石のかけらや、朽ちた植物や、微生物など、極端な見方をすれば「ごみのような存在」で構成されたものです。
それなのに、死んだ命に新たな命と美を与える、究極の魔法を持っているのです。
数十年生きてきて、こんなに土を愛おしく思ったことはありませんでした。