学習サロン ブリリアンス

写真にタイトルは必要か

写真展看板

生徒さんの作品が展示されていると聞いて、宝山ホールで開催されている「第18回鹿児島県高校写真展」を見に行ってきました。

平日の午後だというのに、女子高校生の受付係の方が3人もいらっしゃったことにまずびっくりしました。

各高校の写真部の方がシフトを組んで受付をやっていたのでしょうか、かなりしっかりしたイベントだなあ、という印象を受けました。

受付には、結婚式のように立派な記帳コーナーもあって、住所と名前を書くのに、いささか緊張しました。

地下の展示室にずらりと並べられた120点の入選作品は、被写体もテーマも実に様々で、高校生らしい瑞々しい作品から、プロのような技巧が凝らされた作品までが一堂に会していました。

高校生の皆さんの力作を回覧していく中で、私の中に、ある疑問が湧いてきました。

「これら120点の写真の中には、大賞、特選などの賞が贈られているものもあるが、これは写真のみでその優劣を判断したのだろうか?それとも、作者がつけたタイトルも込みで判断したのだろうか?」という疑問です。

私は今回、タイトルが写真に与える影響について、初めて真剣に考えました。

今回大賞を取った松陽高校の内野さんの作品は、鰹節工場の作業の様子を捉えた迫力溢れる一枚で「耿々(こうこう)」というタイトルがついていたのですが、この作品はタイトルがなくても100%成立する作品でした。

「耿々(こうこう)」という難しい言葉に負けない迫力が写真にありましたし、作品に「余計な味付け」をしないために、意味の分かりづらい、難しい言葉を敢えてタイトルに使ったのでは、とも思いました。

しかし、他の作品の中には、タイトルが写真の足をひっぱっているように感じられるものもありました。

そのようなタイトルには、「ここがこの写真の見どころです!」「こういう風に鑑賞してくださいね!」という作者のアピールが強すぎるものが多い気がしました。

むしろタイトルがない方が、写真の面白さが伝わってくるように思いました。

ただ作品によっては、タイトルにそういった「説明書き」の要素がなければ面白みが伝わりにくいものや、タイトルなしでは作品が成立しないだろうと思われるものも確かにありました。

あくまでも「写真そのもので何を表現するか」が写真芸術なのか、それとも「タイトルも含めての表現」が写真芸術なのか、プロの方々や写真愛好家の方々、そして高校生の写真家のみなさんに、それぞれの意見を聞いてみたいなあと思いました。

もし、後者が写真芸術の共通認識だとしたら、少なくとも高校生の作品では、タイトルの巧拙が作品の出来を左右するのではないか、と感じました。

私の個人的な趣味としては、タイトルを含む一切の文字情報をなくした上で、今回の展覧会の作品を最初から見てみたかったです。

先入観を排除することで、作品ともっとたくさんの「対話」ができたような気がします。

とにもかくにも、たくさんの素晴らしい作品を見せてくれたIくんやその他の高校生の写真家の皆さん、実行委員の方々、貴重なひと時をありがとうございました。

誰でも気軽に写真が撮れるようになった時代だからこそ、このような「芸術」としての写真のコンクールや展覧会(それも次の時代を担っていく高校生が主役の)を開催する意義は大きいと思います。

来年もとても楽しみです。

写真展パンフ

※↑写真展のパンフレットも素敵でした!

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