あなたの愛は生きています

3月14日は鹿児島県の公立高校の合格発表の日でした。

この日をもって、ブリリアンスの2011年度は終了し、2012年度が始まりました。

詳しいことは生徒さんのプライバシーもあるので書けませんが、私にとっても、本当に大きな意義のある合格発表でした。

その日は、ひと言では言い尽くせない心境で、合格した生徒さんと撮った写真を後で見て、何という疲れた顔をしているんだ僕は!と思いました…(本当に嬉しかったのですけれど…)

この仕事をしていると、合格発表の日は嬉しさよりは安堵の気持ちでいっぱいになるものです。

また、合格した生徒さんのことも心からお祝いしてあげたいのですが、悔しい思いをしている生徒さんのことをやっぱり思ってしまうんですね…。

合格の喜びを噛みしめた生徒さんにも、悔しい思いを滲ませた生徒さんにも、受験生の皆さん、ひとりひとりに、それぞれの物語があったことだろうと、今年は特にしみじみと思いました。

これは高校受験ではなく、今年、大学受験をしたある生徒さんのお話です。

その生徒さんのおじい様のご容体が悪いということは、二次試験の直前に、私も聞いておりました。

長い間、闘病を続けられてきて、センター試験の前後から、いつお亡くなりになってもおかしくないような状況だったんだそうです。

そして、二次試験の当日。

その生徒さんは、試験が終わって初めて、おじい様がちょうどその日の朝にお亡くなりになったことを知ったんだそうです。

親御さんは、おじい様がお亡くなりになったことを伏せて、その子を試験に送り出したんですね。(親御さんも、どれだけ大変なご心境だったことでしょう…)

その生徒さんは、後で私にこう語ってくれました。

「じいちゃんは、僕の試験が終わるまで、がんばろうとしてくれたんだと思います」

もし、おじい様が、試験前日までにお亡くなりになっていたとしたら、その生徒さんも平静な心境で試験に臨むことはできなかったでしょう。

孫のことを思い、ギリギリの状況の中で、1分1秒でも命を伸ばそうとされた、おじい様のお心を思うと、私も涙を抑えきれませんでした。

そして、その生徒さんは、無事合格されました。

おじい様の愛、ご両親の愛に守られての合格だったと思います。

その生徒さんのおじい様のお話を聞きながら、私もまた、自分の祖父のことを思っていました。

1年前の今日、震災のニュースがまだ連日飛び交っている、2011年の3月17日に、父方の祖父が天寿を全うしました。

今日はその1周忌にあたり、父方の田舎・知覧で行われる法要に行きます。

私が鹿児島に帰ってきた、今から5年ほど前に、祖父が私にかけてくれた言葉を、私は今も忘れることができません。

かつては、自分の息子や孫に、公務員になることを強く勧めてきた、町役場上がりの祖父だったのですが、その日、祖父が私にかけてくれた言葉は、私にとって、とても意外なものでした。

「雄士くん。

 今の時代、40歳、50歳になってから、花開く人も大勢いる。

 あせらないで、がんばりなさい。」

それまでは、祖父は私の生き方をあまり快く思っていないんじゃないかと思っていたんです。

祖父の前では、私は、すこし肩身のせまい思いをしていました。

だから、祖父のこの言葉は、祖父が私の生き方をまるごと温かく包んでくれたようで、本当に嬉しかったんです。

それ以来、祖父が私を見守ってくれているという大きな安心の中で歩を進めることができるようになりました。

祖父は、2年前に私が作ったエッセー集も誰よりも喜んでくれ、大きなお子さんがいらっしゃるという、病院の看護師さんにまで、そのエッセー集を読むように勧めて、私を応援しようとしてくれました。

今、家のリビングには、祖父と祖母がにこやかにほほ笑んでいる遺影が飾ってあります。

私が生徒さんや保護者の皆さんに頂いたお菓子などは、いつもそこにお供えしてから頂くようにしています。

「こんなに素敵な感謝のお気持ちを今日も頂きました。ありがとうございます。」と、祖父母に報告できることは、私の誇りでもあります。

祖父母の愛、家族の愛に支えられて、今日も私は自分の仕事ができ、生徒の皆さんが大きな成長を見せてくれる。そして、愛を返して下さる方がいる。

これは、本当に幸せなことです。

今日初めて知って、私はひとりで号泣してしまったのですが、

カーネーションの花言葉は「あなたの愛は生きています」と言うのだそうです。

(※朝の連続テレビ小説「カーネーション」の最終週のサブタイトルだそうです。)

感謝という言葉の意味をここまで深く表現した文句を私は他に知りません。

亡くなって、もうこの世にはいませんが、祖父母がくれた愛は、私を通って、今も生きています。

祖父母の温かい言葉は、今も私を支え、そしてそれは、生徒さん達を支えることにもつながっています。

祖父母だけではなく、私につながるたくさんの人々がくれた愛は、私を通って、今もどこかで生きています。

そう考えると、自分というものが、すっーと消えてなくなり、透明な器になったような不思議な気持ちになります。

私たちの生は、だれかが贈ってくれた愛の現れなのだと思います。

私の眼には、ブリリアンスに通っている(または、いた)どの生徒さんも、輝いて見えます。

たくさんの方々の愛に見守られて、大きく成長している姿を、いつも感じています。

今年、良い結果を得られた人も、得られなかった人も、みんな等しく未来は輝いています。

進んでいく道の先に、その人が学ぶべきことが待っている、そういうことなのだと思います。

自分のことは、自分が一番分からないもの。

きっと、祖父母の眼には、今私が書いたように、私の姿が映ってくれていたのかもしれません。

その感謝を胸に、今日は1周忌の法要に向かいたいと思います。

そうやって、2012年度のスタートが切れることを、とても幸せに思います。