学習サロン ブリリアンス

近くて遠い国

5月1日、僕は韓国・釜山(プサン)の街を歩いていた。

福岡港から高速船で3時間。

「近くて遠い国」とはよく言ったもので、韓国の有する自然や文化は、世界的に見れば日本と限りなく近いのだけれど、日本人にとっては、近いからこそ、その違いが際立って感じられる。

韓国・釜山は、ひとことで言うと、過去と近未来が「過剰」に詰め込まれた街だ。

屋台やくつ磨き店、古いモーテルなど、日本で言う「昭和」の猥雑さが街の至る所に残っているかと思えば、巨大なiPadのような観光案内塔が立っていたり、古い小さな酒屋の店先にATMが組み込まれていたり、hyundai社の新型高級セダンが、街路を埋め尽くしていたりする。

時計の針がある部分では極めて遅く、ある部分では極めて速く進んでいるかのような、不思議なめまいを覚える。

釜山の繁華街、西面(ソミョン)の市場を歩いている時だ。

「アジョシ-!、アジョシ-!○×△□…!」

屋台のおばさんが、大きな声で呼びかけてきた。

僕は韓国語はほとんど分からないので、そのままその場を行き過ぎようとすると、

「にっぽんじんー!?バッグ!」

と叫びながら、おばさんがジェスチャーで一生懸命何かを伝えようとしている。

「にっぽんじん」と言われて足を止めたが、意味が分からずきょとんとしていると、

そこに髪の長い大学生くらいの若い女性が通りかかり、英語でひと言、

「ユア バッグ、オープン」と、僕の背中のリュックサックを指さした。

そう、いつからかは分からないが、僕はリュックサックのチャックを大きく開けたまま、釜山の街を歩いていたのだ。

残念ながら僕はそういう抜けたところが昔からある。

「カムサハムニダ」とはとっさに出てこず、「サンキュー」と返したが、その女性は軽く笑って、そのままするりと風のように、市場の細い路地をすり抜けていった。

僕もまた、慌ててしまったのと恥ずかしさとで、屋台のおばさんにちゃんとお礼を言うこともできず、その場を足早に去ってしまった。

後になってみると、それが大きな心残りだ。

リュックの中身を確かめてみたが、何もなくなっておらず、ホッと胸をなで下ろすと、釜山の人達の、積極的に他人を気遣うの心の熱さが、僕の胸の中にじわりと広がっていった。

トラブルは素晴らしいチャンス。

もし僕が「間抜け」でなかったら、こうしてさりげなく釜山の人達の人情に触れることもなかっただろう。

釜山には、街の外面だけでなく、人々の心の中にも、古き時代の面影が生き生きと残っているように思った。

その後、しばらく市場を歩いた後、撮った一枚の写真がある。

ほんとに偶然だったのだが、モノリスのような背の高い液晶広告塔のふもとに、先ほど英語で教えてくれた髪の長い若い女の子が写っていた。

トートバッグを後ろ手に持ち、颯爽と釜山の街を歩く彼女は、これからどこに行くところであろう。

彼女もまた旅の途中だったのではないか、不思議とそんな気がした。

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