0ページ目に書かれていた物語

最近、鹿児島中央駅の西口に、パリ風の外観をしたちょっとお洒落なビルが建ちました。

僕は、このビルが工事中でまだ建設用足場と目隠しに取り囲まれている頃から、なぜだかとても気になっていました。

完成予想図として張り出されていたビルの姿に、ちょっと惹かれるものがあったんですね。

それで仕事が終わった後、深夜に、建築現場までよく足を運んで工事の進捗状況を確認していました。

関係者でもないのに、まるで自分で建てようとしているビルであるかのように。

「このビルはテナント募集はあるのかなあ。中央駅西口から直線でまっすぐの場所にあり、近くて分かりやすいし、将来はこういうビルの一室に仕事場を持てたらいいなあ…」なんて思っていたんです。

ところが、ビルの全貌が明らかになった3月くらいに、僕は衝撃の事実を知りました。

このビル、中学受験専門の某大手有名進学塾Nさんが建築しているビルだったんですね。(何階かのフロアはすべてNさんの教室)

「うーん、同じ教育業界の人だったかあ…。だから不思議と気になったのかなあ。仮にテナント募集があったとしても、同業者(と呼べるかは微妙なところですが)は無理だろうし、残念だったなあ…」

僕はひとりで苦笑いをしてしまいました。

というわけで、少しテンションは下がってしまったのですが、今度は完成したビルに入るお店に興味が湧いてきました。

そのひとつが「ちえの木の実」さんという、絵本と児童書のセレクトショップです。

こういう知的で繊細なお店が鹿児島にもできたというのは、ほんとうに喜ばしいことです。

こういうお店が街に増え、根を張っていくことで、地域の文化や教養のレベルは自然と上っていくのではないか、そう思います。

僕は、本には「出会う」ものだと思っているのですが、特に、子どもから大人まで年齢を問わず、人間の原初的な部分にダイレクトに触れてくる絵本や児童書は、この「出会う」という側面が、一般的な他の本よりも色濃く出るように思います。

人が、その絵本と出会い、買い(あるいは借り)たいと思い、手に入れるまでの物語は、その絵本を読み味わうという読書体験に、大きな影響を与える気がします。

ですから、絵本の専門店というコンセプトの奥には、絵本との出会いの物語、すなわち読書体験の大切な「プロローグ」の部分までを、お客さんにしっかりとプロデュースしようという意識があるのではないかと思います。

僕も絵本や児童書は好きなので、今日初めて「ちえの木の実」さんに行ってみたのですが、実際「本の背表紙が自分に語りかけてくる感じ」が、普通の本屋さんよりも強い気がしました。

店に入ったのが閉店間際であまり時間がなかったので、たくさんは見れなかったのですが、ものすごいパワーで語りかけてきた作品がありました。

荒井良二さんの「あさになったのでまどをあけますよ」と「たいようオルガン」という作品です。

初めに「たいようオルガン」を手にして読んだのですが、極彩色の背景の中を、子どもが描いたかのようなゾウの形をしたバスがどんどん突き進んでいくその躍動感に心を鷲掴みにされました。

それから、これまた子どもが描いたような字で書かれた、「ゾウバスはしる みちほそい みちせまい くさはえてる はなさいてる ちょうちょいる とりいる くもしろい…」という助詞のない日本語のつぶやきに、次第に感動を覚えている自分がいました。

純粋に主語と述語だけで構成される、ただの状況説明でしかない日本語の連続が、次第にこの宇宙がこのままの姿でただここにあることの美しさやありがたさに対する荘厳な賛歌のように聞こえてくるんです。

これは、もう一冊の「あさになったのでまどをあけますよ」にも共通するのですが、とにかく、自分の今生きているこの世界に対する限りない賛歌を、限りなく少ない言葉と、限りなく鮮やかで力強い筆跡で描かれた風景をもって表現されています。

僕は今日まで作者の荒井良二さんを全然知らなかったのですが、56歳でこの作品を描ける感性の若さにびっくりしました。

また昨年出版されたこの「あさになったのでまどをあけますよ」は、すでに賞を受賞されていたり、色々な所で話題になっている人気の絵本みたいです。

だから、このちえの木の実さんでなくても、僕が他の書店でこれらの本を目にする機会はあったかもしれません。

しかし、他の書店でもし手にとったとしても、今日みたいに、その場で2冊を購入する勢いは生まれなかったかもしれないと思うのです。

なぜなら、ちえの木の実さんで買った、この2冊の絵本の0ページ目にだけ、僕がかつて建築中だったこの新しいビルに夜な夜な足を運んだ物語が、プロローグとして浮かび上がってくるのですから。

他の書店で手にしても、残念ながらその0ページ目は浮かび上がってはきません。

夜な夜な通った新しいビルに入った、絵本の専門店でこの本を手にしたというプロローグが、僕の今回の読書体験にとって、とても大切な要素なんです。

人は、その当人にしか読むことのできない、その本と出会うまでの物語が描かれた「幻の0ページ目」と合わせて、その本を愛するものなのだと、そう思います。