決断という子ども

あれかこれかで迷う。

なかなか決断に至らない。

でも自分の心は半ば決まっている。

そこで、信頼できる色々な人の意見も聞いてみる。

その結果、自分の背中を押されることもあるし、思ってもみなかったような視点を得られることもある。

そうやって決断を生み、それを支えていくための「からだ」が整っていく。

決断への陣痛が始まる。

100%先が見通せる決断というのはない。

良くて70%、50%でも見えているなら上出来。

そして、えいっと決断をしたならば、もう後ろを振り向かない。

生み出された決断を、我が子のように育てていくだけだ。

確かに自分と血はつながっている。

しかし、決断という子どもは、生み出された瞬間から、親の身体から離れ、その子固有の魂に沿った道を歩き始めるのも確かだ。

その決断という子どもの歩んでいく道を、親としての責任と喜びを胸に、しっかりと見守っていくのだ。