昨日はたまたま授業に空きが出たので、心身のリフレッシュも兼ねて、とある神社に行ってきました。
私もつい最近知ったのですが、南薩、吹上の町に、大汝牟遅(おおなむち)神社という知る人ぞ知る社があります。
ご存知でしょうか?

境内には、巨大な楠が祀られていて、幹をさすりながら願い事をすると、願いが叶い、心身も元気になるのだとか。
優しさに満ちている樹で、とても心が落ち着きました。
また、その神社のすぐ近くには、「千本楠」という謎の森がありました。

森の中に入ってみると、そこは異世界でした。

巨大な楠が何本も、地を這うように生えていて、そのひとつひとつが巨大な生き物のように見えるのです。
天狗のように見える楠もありましたし、龍の頭のように見える楠もありました。
ここには、神々がいる、と肌で感じました。

それらは巨大なオブジェのようでもあり、誰かが意図を持って作り出したとしか思えないような空間でした。
京都、竜安寺の石庭のように、巨大な楠の龍達がひとつの宇宙を現しているかのようにも思えました。
自然が作り出したアートだとしてもすごいし、仮に大昔の人が意図的に作り出したアートだとしてもすごい。
また、違う季節の、違う時間帯に行ってみたら、違う表情、違う宇宙を見せてくれるような気がしました。
自然が生み出すアートは、人を無にしてくれます。
そして、頭では分からない感動を与えてくれます。
海も山も空も星も森も。
考えること、知識を蓄えることに価値が置かれる現代ですが、(私もそれらに重きを置く仕事をしていますが…)
だからこそ、時には自然が生み出すアートの中に身を投げ込んで、頭を空っぽにする時間が大切ではないかなと思うのです。
詰め込むことと同じか、それ以上に、空っぽにすることが大事。
龍の棲む森を後にして、改めてそう思いました。