ある生徒にこんな問いかけをしました。
「あなたにとって、一番の数学のコーチは誰ですか?」
その生徒は、少し間を置いた後に、こう答えてくれました。
「(問題を)まちがってしまった時の、自分自身ですかね…」
私はその答えが非常に嬉しかったです。
ここで、西野先生です、と答えてくれることも、もちろんすごく嬉しいのですが、私は「自分自身」という答えの方がずっとずっと嬉しいのです。
私が日々伝えようとしていることを、受け止めてくれている証拠ですから。
私の仕事は、生徒自身が自分にとっての最高の数学のコーチになっていくための「お手伝い」をすることです。
たとえ私が明日いなくなったとしても、その生徒が、自分の力で数学を楽しみ、数学の力を高めて行けるように導きたいのです。
受験会場では、一人で問題に立ち向かわねばなりません。
その時、生徒を支えるのは、先生の言葉ではなく、本人の心の声だと思うのです。
先生から受け取った言葉が、先生の言葉のままで生徒の中に残っていても、あまり意味はないのです。
先生から受け取った言葉が、咀嚼され、熟成され、その生徒自身の言葉として生まれ変わって心に根付いた時に、初めて大きな意味を成すのです。
また先生と過ごす時間には限りがありますが、心の中にいる自分との付き合いは一生続きます。
それまでに懸命に学び、悩み、考えてきた自分を、誰よりも一番に見守ってきたのは、心の中にいるもう一人の自分です。
親でもないし、先生でもない。
受験会場では、これまで誰よりも近くで共に闘ってきた、自分自身の心の声に耳を澄まし、決断をし、鉛筆を走らさなければならない。
先生が成績を上げてくれるんじゃないんです。
先生が合格させてくれるんじゃないんです。
先生との出会いによって触発された心の中にいる自分が、最高のコーチとなって、自分の成績を上げ、合格に導いてくれるのです。
学び舎や先生は、あくまで触媒なのです。
私が目指している教育はそういうものです。
生徒自身が自分の最高のコーチになれるように、私は最高の触媒になりたいのです。