学習サロン ブリリアンス

調弦をする

【以下の文章は、2010年5月に自主発行した、私の教育活動に関するエッセイ集「英気に溢れる」より抜粋したものです】

私は京都市左京区で大学生活を送りました。

久しぶりに京都を旅する機会があったのですが、その時私は、銀閣寺や、哲学者西田幾太郎が思索を深めたとされる「哲学の道」の近くにある、とある喫茶店へと足を運びました。

ツタの絡まる白い外壁が印象的な二階建ての大きな洋風建築で、大きな窓が幾つも採られ、室内の姿は外光だけで浮かび上がります。

クラシックの調べが幾万回も染み込んだ濃い飴色のフロアや調度品。

私は長年使い込んで皮が薄くなった手帳のような黒いソファに座り、深炒りのコーヒーを口に運びました。

コーヒーの苦味と香気が鼻腔へと抜け去るとき、ふと、私の中に一陣の「知」の風が吹き込んだように感じられました。

それと共に、私の中から、温泉につかったときに漏れ出る「あーっ…」という嘆息のようなものが湧いてきました。

私がかつて憧憬していた、京都という土地が持つ「知」の匂いが、私の深い部分を呼び覚ますような感覚がありました。

「故郷に戻ってからは久しく忘れていたけど、私は自ら学び発見したことを、ひとつの『観』に組み上げていくことが好きだったなあ、これからはそれを推し進めて行きたいなあ」という自分の深いところにある思いに気づかされたのです。

「英気を養う」という言葉の意味が、その時体感を持って理解できたような気がしました。

適切な音程を鳴らすため、ギターの弦の張りが調整されるように、自分という弦が一度ゆるみ、再び張られ、適切な状態へと調弦されていくようなものなのでしょう。

気の赴くままに、自分の好きな場所で、自分の好きなことをじっくりと味わう時、心身の深い部分が癒され、自分にとって大切な気づきがもたらされることがあります。

私の場合は、歴史を感じさせる喫茶店での一杯のコーヒーや、木々や星、滝や山といった自然の揺らぎを眺められる温泉につかること、また、直感を頼りに進むひとり旅などがこれに当たります。

どうやら、心身がリラックスするのと同時に、外界からの新鮮な刺激がもたらされる時、内面で大きな化学変化が起こるようです。

リラックスをすることで、普段はなかなか気づけない身の回りの事象がささやくメッセージに敏感になるのでしょう。

そこから道標となるような気づきを得ることがあるのです。

英気を養う時間、調弦をする時間をとれた後は、物事を捉える視点が定まり、勉強や仕事においても、人との関わりにおいても、自分らしい良い働きができるようになるようです。

自分という楽器に今張ってある弦を、元の音程や響きへと調整することに、気合は要りません。

音色に耳を澄ませながら、ゆるませ、張ることだけです。

調弦することによって、楽器は本来の機能を果たし、美しい旋律を奏でるのです。

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