【以下の文章は、昨晩twitter上につぶやいたものの「まとめ」です】
人は主体的にモノを考えているようですが、実は環境や状況によって、半ば強制的に「考えさせられている」ことが多いように思います。
大きな仕事が控えていれば、その準備ばかりに頭を使うし、トラブルが起これば思い悩み、好きな人ができれば、その人ばかりを思う。
それぞれのことを考える時には、「頭のモード」が切り替わります。
未来のことを考える頭のモードと、目前の課題をこなす頭のモードと、過去に思いを馳せる頭のモードは違う。
目前の課題をこなすことに使う頭のモードから、自分が今一番考えたいことに適した頭のモードに切り替えるのには「工夫」が必要です。
精神力だけで、すっと切り替えるのは、困難です。
(たぶん、それを自然にできてしまうのは、赤ちゃんと悟りを開いた人だけでしょう。)
凡人にできることは、自分が一番考えたいことを、自然に考えさせてくれる環境を選ぶという「工夫」をすることではないかなと思います。
私は、今書き連ねているような部類のことに思考を巡らすのが無上に好きです。
でも、日々のミッションに追われていると、なかなか頭がそのようなモードに切り替えられない。
実は今、私はベッドの上で音楽を聴きながら、文章を書いています。
クラシックギタリスト、大萩康司さんのアルバムです。
彼の演奏を聴いているうちに、心と頭がすーっと鎮まり、風通しの良い脳の状態になりました。
そして、流れるままに思考し、流れるままに言葉を書き連ねたくなってきて、自然とツイッターを開いたのです。
環境や状況によって人は、半ば強制的に「考えさせられてしまう」こと、
また自分が一番考えたいことを考えられる脳のモードに切り替えるために、環境を選ぶ工夫をすること、
というテーマは数日前から頭にありましたが、
それをこのようにアウトプットできたのは、大萩さんのギターの調べに耳を傾けてみたからだと思います。
上質な音楽が、上質な思考を引き出してくれるように、実は思考を引き出すトリガーは自己の内部ではなく、外部にあるのではないかと思うのです。
私の教室も生徒にとって、そういう場所であり続けたいです。
日々の学業や生活に追われている生徒が、本当に考えたいことを深く考えられる場所として。