心の中に応接間を

心の中に、小さくてもいいから、人をもてなせる「応接間」を築いていく。
この社会の中で「大人になっていく」とはそういうことではないかと、ふと思いました。

心に「応接間」がなければ、最初から他者を「乱れている部屋」や、「見せたくない部屋」に通すしかありません。そこでは他者は気軽に話をすることができないし、長居したいとも思わない。
また、「応接間」が無いことで、他者の訪問を自ら無意識にシャットアウトしてしまうかもしれません。しかしそれでは、人と人との社会的関係を築いていくことができません。
比喩的な表現になってしまいましたが、子どもたちが抱えるコミュニケーションの苦労の根源は、ここにあるのではないかと最近ふと思ったのです。

では、子どもたちが、心の中に「応接間」を築いていくためには、どうすればよいのでしょう。
まずは、子どもたちが成長の過程において、様々な他者の心の「応接間」に招かれ、そこで適度に胸襟を開いて、話をし、話を聞くという経験を積んでいくことではないかと思います。
そこから、人と人との適切な距離の取り方、対話の仕方を学び、自分の心の「応接間」を築いていく手がかりを学べるのではないかと思います。

だからこそ、私たち大人が、風通しの良い心の「応接間」を持ち、子どもたちを招いて対話をしていかなければならない。ともすると、私たちは「応接間」ではなく、子どもたちに「説教部屋」で話をしてしまいがちです。それでは、子どもたちは、人を心に「招いて」話すという経験は学べません。

「応接間」で話をするということは、相手を、大人として、客人として認めた上で、話をする、ということです。
そして、互いを尊重し、適切な距離を保ちながら、互いに歩み寄って、その時に応じた「実のある」話を生み出すという行為です。

時代劇を想像すると分かりやすいですが、「応接間」というのは、先人から引き継いだ知恵の結晶であり、その人間の持ちうる文化と人生の歩みの結晶です。
換言すれば、その人間の「大人力」の結晶です。
だから、子どもたちが、それを独力で築いていくのは難しいのは当たり前なのです。
成熟した大人たちの心の「応接間」に触れていくことが肝要なのです。

しかし、心の「応接間」というのは、物質的なものではないですから、時に消滅してしまうこともあります。
それは、自らの心に余裕がない時です。
余裕のない毎日を過ごしていると、心にも余裕がなくなります。
余裕がなくなれば、まっさきに乱れて行くのが心の「応接間」です。
「応接間」は日々掃除をしていかなけれなならないし、時の歩みに伴って、ブラッシュアップしていかなければならないものです。

だから、子どもたちが心の「応接間」を築いていくために、私たち大人が、心に余裕を持てる毎日を過ごす工夫をしていく必要があります。
そして、大人自身が、自分の周りにいる成熟した他者の、あるいは、尊敬する先達の、心の「応接間」に触れて、自分のそれを磨いていく必要があります。

そして、それは個人の努力だけでなく、この社会全体で成していかなければならないことであるように思います。
皆が心に余裕のある毎日を過ごせて、心に風通しの良い「応接間」を持てるような社会の仕組みを築いていかなければ、今後日本の地方都市だけでなく、次世代を担う子供たちの心の中にも、無数の「シャッター街」が形成されてしまうでしょう。

来たる12月14日(日)はそういう意味でも大事だと思います。