最近、自分が「発信」したことに対して、様々な形で「反応」が返ってくることが多いです。
ネット上で発信したことに、ネット上でレスポンスが返ってくることも増えてきましたが、現実世界で思わぬ形でレスポンスが返ってくることも出てきたのです。
例えば、昨日「未来のために日記を活かす」というエッセイを書きましたが、その直後の授業で、ある生徒からとても嬉しい報告を聞きました。
私はその生徒に対して、日記の話は全然していなかったのですが、その生徒は自主的に手帳を探して購入し、日記を書き始め、それを今ものすごく楽しんでいるとというのです。
しかもその手帳というのが、未来をデザインして楽しく実現していく工夫がなされた、まさに理想の手帳でした。
その生徒は、昨年末は結構浮き沈みが大きかったのですが、今年に入り、その手帳を書き始めてから、勉強へのやる気も高まり、毎日が生き生きとしてきたようでした。(目がキラキラしていて、笑顔が増えたように思います。)
私が直接アドバイスしたわけではないのに、ものすごいタイミングで、その生徒が手帳を楽しんで活用し始めたことに、不思議なシンクロニシティを感じました。
もちろん、先生と生徒ですから、長い付き合いの間に、影響を与えあっているのもあると思います。
私が長い間「発信」したことに対して、生徒が「反応」してそうなったという側面もあるかもしれません。
でも逆に、その生徒が「自主的に楽しく手帳を書き始めた」ことに、私が不思議な「呼応」をして、昨日の「未来のために日記を活かす」というブログを書かずにはいられなくなったのかもしれません。
「発信」とそれに対する「呼応」は、一方的なものではなく、実は双方向に起こり得るという「不思議な仕組み」が、この世界には隠れているような気がします。
人体を考えてみると面白いです。
例えば、脳が「発信」したことに対して、のどが「呼応」し、歌が歌えます。
でも実は、脳が「歌を歌おう」という「発信」をしたのは、ゼロから生み出された行動ではなく、例えば、道を歩いている時に、近くの民家からリコーダーの練習をしている音が聞こえてきて、その音に「呼応」して、歌が歌いたくなったのかもしれません。
「発信」と「呼応」が様々に連続して、人々の行動は生まれて行くのでしょう。
その詳細なメカニズムは分からないけれど、人体という宇宙も、この世界という宇宙も、「発信」と、それに対する「呼応」を通じて、動いていく。
だからこそ、日々「発信」することを大事にしたいし、他者や自然からの、ささやくような「発信」にも、耳をすませられる毎日でありたい。
自己の力だけでなく、他者や世界と連動して、その力を借りて、共に前に進んでいきたいと昨日は強く思いました。