好き
好きってことばに 返事はいらない
いるとしたら 好きの先
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NHKハート展というのは、障害を持った方が詩を投稿し、入選した作品について、著名なアーティストが、その詩に合った絵や写真を創作して合わせて展示する、という展覧会です。
昨日偶々テレビでハート展のことを知り、興味が湧いたので、ネットで過去の作品を調べてみました。
上に掲げた詩は、その中でも特に私が胸を撃ち抜かれた作品です。
作者の内田さんは、肢体不自由の方だそうで、実際の字はものすごくうねっているのですが、それがまた力強くて、感情が溢れていて、私は詩を読んで涙が出ました。
(実際の作品は↓のリンクよりどうぞ)
http://www.nhk-sc.or.jp/heart-pj/art/heart/work2014/work03.html
どんなシチュエーションでこの詩が書かれたのか分かりませんし、詩の内容は、正直なところ、理屈で解釈しようとしても、よく分かりません。でも、なぜか、理屈を超えた所で、ものすごくよく分かるのです。泣けてくるのです。
頭ではなくて、感情で理解できる、という感じでしょうか。
普段、文章を読むときは頭ばかり使って理解しようとしていますが、この詩は、頭を使って理解することを優しく拒絶し、頭ではない部分で、ことばを丸ごと受け止める心地よさを与えてくれます。
この内田さんの詩は本当にすごいです。私はこの詩が好きですが、好き以上の言葉がうまく言えません。そして、内田さんの詩は、私の好きに対して返事をしてくれません。返事いらねえよな、でも、お互いそれでもいいよなって言える温かな関係が結べるのです。そして、好きの先に至った時は、また会えるかもな、また話すことばもあるのかもなって言って別れるのです。
この詩は、この詩自身と鑑賞者との出会いについて、予言的に書かれたものなのかもしれないとすら思わせるすごさがあります。しかもそれをたった27文字で表現している。
障害を持った方の芸術作品は、時にものすごい光を放つことがありますが、その理由が今回、少し分かった気がしました。
きっと何か体の不自由があることにより、それ以外の体の部分で「世界を受け止める」ことを余儀なくされてきたはずです。ですから、そのような方が作られた作品には、多くの人が普段の生活では使用しないような「身体のチャンネル」を用いて切り取られた、鮮烈な世界が封入されるのかもしれません。
多くの人が目で切り取る世界を、目ではない部分で切り取り、多くの人が耳で吸い取る世界を、耳ではない部分で吸い取り、多くの人が頭手足の器用さで表現する世界を、頭手足の不器用さで表現する。
鑑賞する人には、それが、新鮮で、鮮烈で、まぶしく映るのでしょうね。