学習サロン ブリリアンス

私が医学部に合格するまで-ある医学部受験生の心の中- (前編)

ブリリアンスの元受講生で、昨年、鹿児島大医学部医学科に合格した水上夕凪コーチが、当時を振り返って詳細な医学部受験記を執筆してくれました。ここまでリアルに、受験生の心情の「陰」の部分に光を当てた合格体験記は、それほど世にありません。だからこそ、この春、医学部医学科への挑戦、特に再挑戦を決めた方達への力強いエールになるのではないかと思っています。


―まえがき―

私自身は合格体験記を読むことが苦手な受験生でした。通常、合格体験記には合格した人の自分なりの勉強法や気持ちの持ちようが、明るい語り口で語られることが多いです。しかし、私は勉強法を参考にしようとしても自分に合わず、筆者のメンタルの強さがまぶしく見えることもありました。ただ今振り返ると、勉強方法は人それぞれであっても受験の過程で湧いてくる気持ちには共通点があるのではないかと思うようになりました。

私は、医学部に入るまでにいろんな気持ちを抱えてきました。これから私がその当時何を感じていたのかをありのままに書こうと思います。読まれる方によって共感を得られる気持ちとそうでない気持ちは異なると思いますが、受験に関わる方に何らかの参考にして頂けるなら嬉しいです。

高校入学~現役 -ただひたすらに―

 受験生になるまでの間、私は「本当に医者になれるのか、なっていいのか、そもそもそれは私の意思なのだろうか」と悩みながら勉強していたように思う。高校と塾(※某大手予備校 編集部注)を掛け持ちして、高校では周囲から頭がいいと言われる一方、塾での成績は目も当てられないということもよくあった。周囲の私への評価と自己評価のギャップを感じてなんとも言えない気持ちになることもあった。

 受験を一年後に控えた3月に、行きたいと考えるようになった単科の医科大学に行ってみた。今まで地元でありがちではある進路を辿ってきた私にとって、その大学は初めて自分で決めた目標の場所だった。ここで学んで医師になって、誰かの役に立っていたいと思った。自分の中でやる気がムクムクと湧いてきた。

 しかし、高校3年の7月進研模試の数学で学校最下位を取ってしまった。今まで学校の中ではそれなりの成績を保ってはいたので、この結果には愕然とした。ここから私の勉強のギアが数段階上がった。

 高校3年の10月段階で、今の成績では志望校合格は厳しいと担任の先生に言われた。当然だと思ったが、諦めたくはなかった。毎日学校が終わると塾に行き、塾の退館時間になるまで勉強し、帰りの車の中で夕飯を食べ、また家で勉強し、1時に寝られたら嬉しいというような生活になった。

 11月以降はセンターの点数を上げるために勉強していた。点数にも少しずつ反映され、12月の塾でのセンター模試で、目標点を越えた。足を骨折してしまうというアクシデントが起きたが、通院時間も縫いながらひたすらに勉強した。

 センターは取れず、二次試験での逆転を狙う形になった。一瞬浪人の文字が頭をよぎり、すぐに打ち消した。ただ厳しいこともわかっていた。自分が目指した大学を受験することができたが、初めて浪人生を見て、彼らが醸し出す張り詰めた空気を肌で感じた。最後の科目の終了と同時にシャーペンを置いたとき、本当に浪人だな、と思った。そう思うほどに手ごたえは無かった。ただ自分で決めた大学を受けられたことは嬉しかったので、受験したことに一切後悔はなかった。

 華々しく散ったことで、私はある意味すっきりとした気持ちで浪人生になった。

一浪目 -掴みかけたチャンス-

両親は現役の受験が終わる前から浪人の準備をしていたようで、結果が分かった数日後には体験授業を受けることになっていた。私としてはここまで早く準備されていたことに驚いただけでなく、正直少し複雑な気持ちもあった。ただ勉強に専念できる環境が気に入り、地元から離れた予備校の門をたたいた。国立の医学部を目標とする30人に満たないコースを希望した。

決めた理由は主に二つある。まず大手の予備校ではないため一人一人に目が行き届いていて、いつでも質問に行くことができたことが大きかった。そして何より、医学部を目指す意識が高い環境に身を置けると感じた。

勉強を続けること自体は苦痛ではなく、むしろ自分の理解が進んでいくことがとても嬉しかった。それだけでなく、高校では習わなかった知識を知ることによって、理解がより深まることを体感できた。単純に知識を覚えるだけでなく、時間をかけて知識の裏にある深みまで分かったうえで入試に臨むことができるのは、浪人生の最大の強みなのではないかと考えるようになった。

12日間しかない休み以外毎日同じ場所で勉強していると、自然と多くの仲間ができた。特に私は寮生だったため、他の寮生と食堂でも同じになる。励まし合ったこともあれば、ご飯を急いで食べて自習に戻ろうとする友達の姿を見て「私も頑張らないといけない」と感じたこともあった。励まし合うものの馴れあった関係にはならず、それぞれが自律して勉強に打ち込んでいた。

ときどき予備校が終わってから門限までの30分でコンビニのおやつを仲間と買いに行くこと、日曜日に駅のスーパーで売られているクレープを買うことが楽しみで、これらのことが唯一の息抜きだった。

学期初めの選抜テストを受けた結果、一番上のクラスに入っていた。友達から「さすがだね」と言われることも多く、担任からも「お前は一年で受からないといけない」と言われたこともあった。こそばゆいような気持ちの一方で、本当にそんな評価を受けていいのか疑問も感じた。それほど自分が医学部合格に近いようには思えなかった。なぜなら、なんとなく自分の実力に自信を持てなかったからだ。この自信のなさを具体的に表現するなら、「みんなは私のことを『頭がいい』と思っているのかもしれないけれど、実はそうでもないだろう」という気持ちである。というのも、一浪目の年は一番克服したいと考えていた数学の伸びを感じることができないでいた。他の教科は努力していることが模試等の結果につながる経験があったが、その1教科が気がかりだった。上手くいったところはあまり目に入らず、上手くいかなかったところを気にしていた。

自分に自信が持てないからか、些細なことを気にしてしまうこともあった。友達の鉛筆の音などである。もしかすると、私の言葉で成績が伸び悩んでいた友達を傷つけたこともあったかもしれない。

最後のセンター試験も予想以上に点数を取ることができ、私立の医学部の合格が複数来た。ここまでくると、私はこのまま国立大学の合格まですんなり行けてしまうのか、という妙な気持ちになった。合格を目指していたはずなのにいざ目の前に本番が迫ると、たじろぐような、ふわふわとした気分だった。

そして、面接練習をしていた時に自分が医師になる理由をうまく伝えられていないように感じていた。この自分の志望動機に対する少しの迷いが、のちに私の後悔の種になる。

最終的に私は国立大学の前期試験に落ちてしまった。

落ちた瞬間のことはあまり覚えていないが、その時になって初めて自分が今までどれだけの時間を受験に費やして頑張ってきたかを思い出した。

後期対策としての小論文の対策を始めたときになって初めて、推薦入試を受けた友達の苦労が身に染みた。自分が努力していたのは事実だが、それ以上に友達の努力が輝いて見えた。私は自分より頑張っている友達を見て僻んでいたこともあったのではないか、だとすると罰が当たった結果の不合格なのだろうかとも思った。

それ以上に湧いてきた気持ちは後悔だった。不合格になって初めて、医師になりたいという、日々の勉強で忙殺されて見えなくなっていた気持ちを思い出した。それどころか、目指す医師像ややりたいことが今までより具体的に考えられた。自分の気持ちに向き合うのがあまりにも遅かったことが心から悔やまれた。

そうなるとますます、私は掴みかけたチャンスを逃していた現実に向き合わなければいけなかった。自分は今までメンタルが強いと思っていたが、後期試験までに気持ちを切り替えることができなかった。結果面接点が大きく足を引っ張り、一浪目最後のチャンスだったはずの後期試験も不合格になった。

二浪目 -最後に残った気持ち-

私は浪人生活の中で二浪が決まった3月からの約半年間が一番辛かった。初めて勉強の手が止まる経験をした。あんなに勉強して手ごたえもあったのに合格できないなら、私はもう医師になれないのではないかと考えていた。

後編へ続く


Author 水上夕凪
鹿児島県立鶴丸高校卒/鹿児島大学 医学部 医学科 在学中
大学では弓道部に所属。ブリリアンスでは化学・生物・数学を指導。
学業に集中するため2022年度はコーチ職をお休み中。

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