【以下の文章は、2010年5月に自主発行した、私の教育活動に関するエッセイ集「英気に溢れる」より抜粋したものです】
「英気を養う」という言葉があります。
普通は「休息して、元気を蓄える」という意味で用いられますが、「英気」という言葉を紐解いてみると、さらに深い味わいが見えてきます。
「英気」にはふたつの意味があるようです。
ひとつは「才気」、つまり、その人の持つすぐれた頭のはたらきを表します。
もうひとつは、「元気」という意味です。
このふたつの意味を考慮しながら、「英気を養う」のニュアンスを捉えると、次のような感じになるのではないでしょうか。
-その人の持っているすぐれた頭のはたらきを発揮するために、元気を蓄える。
生まれたての赤ちゃんから、お年寄りまで、私たちにはそれぞれに持って生まれた素晴らしい気質があります。
その気質に包まれながら、人生の中で得た学びが加わって、磨かれていった玉のようなものを魂と呼ぶならば、その魂が生き生きと輝く時、発される才能と生命力の光が、「英気」というものではないかと思います。
第2章でお話しましたように、私は、関わった子ども達が、生まれ持った気質と魂を生かしながら、英気を養い、英気に溢れていく姿を多く目にする機会を頂きました。
どの子にも、初めて出会ったその時点からもうすでに、素晴らしい英気が内在していたことに、時を経て気づかされる日々を送りました。
学校に行きたくても行けなかったり、勉強から身を遠ざけたりしている間も、子ども達は内側で大きな学びをしていました。
英気を養っていたのです。
これは子どもだけでなく、それを見守る保護者でも教師でも、老若男女を問わず、すべての人に当てはまるのではないか、と思います。
今、この現時点において、私たちの中には、それぞれに固有の素晴らしい英気が宿っているのです。
それが今溢れ出している人もいれば、様々な事情から、一時的にくすんだり、縮んだりしている人もいるかもしれません。
伸びるためには時に縮むことも必要だからです。
人生を振り返って、自分が一番英気に溢れ、自分らしい働きをしていた時を思い出してみてください。
少なくともその時に溢れていた英気は、今自分の中に眠っているのです。
英気を養うというのは、自分の持って生まれた素晴らしい才能を生かすために、眠っている元気を呼び戻す時を持つことです。
養われた英気が次に生かされる時、これまでの人生で得た学びが、きっと大きな手助けになってくれると思います。